アリスの本棚

読んだ本の紹介をしていきます。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

 嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 ※10年前くらいに書いたレビューの転載

米原さんは、小学3年~中学2年の7年間を当時のチェコスロバキアの首都プラハにあったソビエト学校で過ごしました。

そこには色んな国の人たちがいて、この本ではまりさんがそこで知り合った友達との話が描かれています。

ギリシャ人だけどギリシャに行ったことがなかったリッツァと、ルーマニア人で、ルーマニアにただならぬ愛国心を抱いていたアーニャと、旧ユーゴスラビア人のヤスミンカ。

みんな故国の事情、民族とか社会主義とか、宗教とか、色んな事情を抱えていて、日本に住んでいる私は考えたこともなかった、愛国心を強く持っている。

私は今までこの、東欧と呼ばれる地域の人たちや歴史のこと全然知らなかった。この本には東欧に住む具体的な人物と政治の状況や歴史的民族的背景が万里さんの言葉で描かれている。だから、とても身近に感じながらこの地域について学べたような気がするよ。

どの話も後半は米原さんが大人になってから、昔の友達に会いに東欧を訪れるんだけど、友達を探す過程はスリルがあって、再会の瞬間はほんとに感動的。異文化圏に涙を流して再会を喜び合える友達がいるって素敵だな。

本の題名にもなっている「嘘つきアーニャと真っ赤な真実」の項は、考えさせられるところがたくさんある。
「白い都のヤスミンカ」は、ユーゴスラビアの紛争だとか、民族の違いとか。(文章にできない!)もっと知りたいな。ヤスミンカって名前、かわいいね。ジャスミンって意味らしいよ。
「リッツァの夢見た青空」は、なかなか面白いね。万里さんは、シモネタを必ずどっかに入れてくるw

 

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転載おわり。


米原さんはエッセイが多いけど、これは小説っぽく書かれているから好き。

タイトルもとっても好き。

この本は手放さずのそばに置いときたいな。(2015年 記)

 

(ここから2016年 加筆)

米原さんがこの3人の友達に会いに行くドキュメンタリーがあると聞き、Youtubeにあったので見ました。

その後で改めて「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の項を読んだ。


アーニャという名前に親近感が沸いていたことや、「嘘つき」の「真っ赤な真実」っていう響きに魅せられていたけど、

改めて読むと「旧友に会えて良かったね~いい話だったな~」ってな脳天気な感想では締めくくれないものがある。


話の中にも出てくるけど、

人は自分の経験したものをベースにして物事を想像する。幸せな経験しかしていないひとは、辛い生活をしている人についても脳天気な想像力でしか慮ることができない。

ルーマニア社会主義体制崩壊時にその場にいなかった、プラハの春鎮圧時にもプラハにいなかった、万里さんがそのように本の中で綴っていた。


私はその時点で産まれてもいないので、万里さんの言葉を通して想像することしかできない。


今のルーマニアがどうなっているかはわからない。でも、ルーマニアにそういう時があったことを、この話を読んで知ったから、いつか機会があれば、行ってみたいと思った。


ドキュメンタリーの中で万里さんが言っていた言葉。

歴史の本では一行で済まされてしまうような出来事。その出来事の背景に、たくさんの人の思いがある。そういうものを想像したり思い出したりするために、文学はあるのではないか、と。

(内容は私の記憶を元にしてるので正確なものではない)


社会主義とか共産主義とか、確かに歴史の教科書ではさらっとしか出てこない。

結局崩壊したんだなと、その一言で片付けることができるし、崩壊したと脳に刻みこむけども、その時に人々の生活がどの様に変わったかまでは学ばないし、想像しない。


ルーマニアへの愛国主義的な発言をしていたアーニャ、つく理由のよくわかならい嘘をついていたアーニャ、万里さんにとって不可解だったアーニャの行動の真実が、35年後に解き明かされる。解き明かされたところで、すっきりするわけでもない。そこにも矛盾が孕んでいる。それでも、万里さんにとってアーニャは大切な旧友なんだな。


 

何者

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 表紙にこの6人の顔写真があったから手に取った。

岡田将生だ! 二階堂ふみだ!

え、これ、佐藤健???

てか、すごいキャスティングだ~

どんな話かなー?

むむ?「桐島、部活やめるってよ」の著者か~

おもしろいかも??

 

てな感じで手に取った。

裏表紙を読むと、

・就職活動を目前に控えている

SNSや面接で交わす言葉の奥の本音や自意識が次第に彼らの関係を変えていく

とか書いてある。

 

桐島、部活やめるってよ」は高校生の”所属意識”のようなものが

中心に描かれていた気がする。

 

これはSNSとリアルでの人間関係のずれ(本音と自意識のせめぎ合いというか)

のようなものを描いている気がする。

この小説の登場人物は1人を除いてツイッターをフォローし合っていて、実際に会って就活対策をしたりする。互いに互いのツイッターもチェックしている。

でも、実際に会って話す内容とツイッターでみる内容に少しずれがあったりする。

 

私はツイッターは見るばかりで自分からツイートしたり友達や見知らぬフォロワーと交流したりすることもほとんどないけど、若い人の間ではよく利用されてて「裏アカ」をもってる人もいるとかいないとか。

 

「裏アカ」は、実際の友達には絶対に知らせず、他人の目を気にせず、匿名で好き勝手なことをオンライン上でつぶやくためのものらしい。あえてオンライン上でつぶやくのは、見知らぬ誰かに読まれてリツイートなりフォローなりされると嬉しいから。承認欲求がみたされるから。自分が「何者」かになったような気分になれるから。

 

就活生になるということは、世間に流されてるとか、没個性的などと揶揄したり批判したりする人がいる。

「自分はそういう世間の流れには流されず「自分」をもって行動できる。すごいだろ~」みたいなことをやたらツイッターにアピールしたりする人がいる。

 

本音をかくして、周りにはすごい人、かっこいい人、いかしてる人みたいな、「何者」かになったつもりで振る舞う人。そういう人は、「自意識が強い」人だと言える。

 

一方で就活では、面接のときには自分を本物の自分以上に有能な人に見えるようにアピールしないといけない。「何者」でもない自分を無理やり「何者」かであるように、大学時代に打ち込んできたこととかについて、面接官に話さないといけない。

これは、得意な人と苦手な人がいる。

「自意識が強い」人は、きっと嫌な気せずにできるんだろう。

でも、そうでない人は、自分を大きく見せることに抵抗があるのかもしれない。

でもとりあえず、自己PR文を練って、それをすらすら話せるように暗記して練習して、みんな乗り越えているんだろう。

 

あ~長ったらしくてわかりにくい文章だなあ。。。

朝井さんが表現しようとしてるものはとても抽象的なんだけど、

SNSと現実の両方での人間関係のずれみたいなものってSNSやってる人ならなんとなく

理解できる気がするから、読みながら共感するところはたくさんある。

 

自分もこれを読みながら自分の自意識の強さだとか承認欲求の強さだとかSNS依存みたいになってることについて考えた。

なぜ私はフェイスブックに自分の写真をアップしたいと思うのか?

なぜ非公開にせずあえて友達に公開したいのか?

なぜ「いいね!」の数を気にしてしまうのか?

とかね。

結局私も、現実の生活以上にキラキラして見えそうなSNSの世界で、

「何者」かになった気でいたいのかな。

 

SNSがなければこんな気持ちにはならなかったかもしれない。

実際、私の友達でもフェイスブックなどのSNSは一切やらない人もいる。

その方が、精神的には健康でいられるのかな。

SNSを通してほかの人の生活が見えると、それと自分の生活とを比べてしまったり。

リア充アピール合戦。

そんなつもりないのに、結果的にそうなっている?

でも今さらやめられないし。。。

 

そんな感じで、SNSにどっぷり浸かってる身としては、

小説の中の登場人物の言葉なんかでグサッと心に刺さるものがあった。

以下抜粋。

 

ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれてきていってしまう。

 

ほんとうに大切なことはちゃんと会って、面と向かって伝えた方がいい。

オンライン上の顔はその人のほんの一部でしかない。

それがその人の全部だと勘違いしてしまうと、現実の顔とのギャップが広がっていってしまうんだろうな。

 

私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときの両親に近い年齢になってる。もう、育ててもらうなんて言う考え方ではいられない。

 

私たちはもう、そういう場所まで来た。

 

ただのバイトのくせに「仕事行ってくる」って言ってみたり、あなたの努力が足りなくて実現しなかった企画を「なくなった」って言ってみたり、本当はなりたくてなりたくて仕方がないはずなのに「周りからアーティストや編集者に向いているって言われてる」とか言ってみたり、そんな小さなひとつひとつの言い方で自分のプライドを守り続けてたって、そんな姿、誰も知らないの。誰も追ってくれていないの。

 

隆良くんは、ずーっと、自分がいまやっていることの過程を、みんなに知ってもらおうとしてるよね。そういうことをいつも言ってる。誰かと知り合った、誰かの話を聞いた、こういうことを企画してる、今こういう本を読んでる、こういうことを考察してる、周りは自分にこういうことを期待してる。

 

十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。何度も言うよ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ、私たちは。百店になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことをあなたと同じように見ている人はもういないんだって。 

 

この長いせりふを言うのは、有村架純演じる瑞月。

言われるのは岡田将生演じる隆良。

(役のイメージと合いすぎてすごく簡単の想像できる。。。)

十点とか二十点とか、未熟だと自分でわかってる段階で出すのはすごく抵抗がある。

のはすごくわかる。妥協したくないというより、きっとこれは自分のプライドを守るためなんだろう。かっこわるい仕事してるところを周りに見られたくないんだろう。

未熟だとわかってても出すのは、それは勇気がいる。

失敗を恐れない勇気。

でもそうやって出していかないと、結局いつまでたっても成長できないんだろうな。

この瑞月の言葉を読んで、とてもぐさっときました。

 

よく、語学習得の近道は、覚えた単語から積極的に使うことだって聞く。

発音とかいろいろ間違ってもいいからとにかく使うことだって。

でも私にはそれがどうしてもできない。

間違えることをかっこ悪いことだと思っているから。

だから上達も遅いんだよなー。

 

でも、仕事をしてる時は、そんなかっこつけたり取り繕ったりする余裕もなくて、

めちゃくちゃかっこ悪い。それなのに、さらにかっこ悪い姿をさらすことをためらっている自分がいる。「新しいことをやってみたい」って心の中では思っているのに、失敗したら、とかどうせ~、とか考えて、結局やらないとか、、、よくある。。。

あ~~~難しいな~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まく子

 

まく子 (福音館の単行本)

まく子 (福音館の単行本)

 

 久しぶりの投稿。

最近小説はめっきり読まなくなったのだけど、

この本はたまたま本屋で手に取って1ページ目を読んで、

続きを読みたくなって買ってしまった。

小説の書き出しってとても重要だね。

書き出し1ページで、買うか買わないか決まってしまうなんて。

 

西加奈子さんのことを知ったのは、又吉が『火花』で芥川賞をとってメディアでもてはやされていたときに、おすすめ本として西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』を紹介していたのがきっかけ。『サラバ!』で直木賞を受賞してるらしい。

 

『まく子』のテーマはとてもわかりやすいし誰にとっても身近なものだ。

この世のものはすべて変わり続ける。永遠に変化しないものはない。

そして、この世のものはすべていつかは朽ちて存在しなくなる。

永遠の命は存在しない。

でも、その事実を受け入れたくない、受け入れられない主人公が、

永遠に変化しない物体しか存在しない他の惑星からきた宇宙人との交流をきっかけに、

自身の体や心の変化とか、命がいつか果てて死んでしまうという事実を

受け入れられるようになって少し精神的に成長する、という話。

 

話の舞台は小さな温泉街(「集落」と言っている)で、地域の大人も子供もみんな顔と名前が知れている。大人の話のねたが地域の噂話くらいで、それを子どもながらにくだらないと思ったり、地域の祭りでばか騒ぎする大人を見て「あんな大人になりたくない」と思ったり、主人公の大人や社会に対する思春期特有の反発心は、少なからずみんな成長の過程で感じたことがあるんじゃないかと思う。だから、読み手の共感を誘うし、わかりやすい。

 

面白いのは、宇宙人が出てくるところ。

なんもない平和でのどかな田舎に宇宙人というSF要素が混ざって、現実的なようで非現実的な感じがフィクションぽくて好き。

宇宙人のコズエが去ったあとでまた宇宙人ぽい転入生がきたと思ったらそれは宇宙人ぽい地球人だったっぽいところが最後に笑えた。

 

あまり難しくない内容だから仕事の息抜きにいい感じでした^^

 

 

 

 

 

 

ゲスな女が愛される

 

ゲスな女が、愛される。-あっという間に思い通りの恋愛ができる!
 

 

恋愛がうまくいかないと、こういう本に手を出してしまう。

彼からのメールを待つ時間は本当に苦しい。

「もうきっと来ないだろう」なんて考えながら、

でも諦められないから何度も確認してしまう。

こういう思考回路が嫌なんだ。

きっと向こうは、私のことなんてそれほど考えてなくて、

メールの返信をただし忘れてるだけ。

でも、結局し忘れる程度の存在なんだ。

 

この本を読むと、恋愛依存な人、相手への執着心を拭い去れない人(私)は少し心が落ち着きます。

この本は、恋愛がうまくいくためのハウツー本ではなく、自分の心の持ち方・考え方について提案してくれる本です。

「足し算の女」と「引き算の女」が話に出てきます。

足し算の女は、自分にはいろいろなものが足りないから、

いろんなことを頑張って彼に愛されようとする。

嫌われるのは、自分に何かが足りないから。

それを補わないと愛されないと思っているから、

外見に気を遣ったり、彼の前では気の利く女子としてふるまったりする。

でもそんな足し算の女は、男子からしたら怖いから、

大体逃げられる。

引き算の女は、自分が価値のある存在だってわかっているから、

なにも足さない。ありのままの姿で過ごしている。

異性の目を気にして媚びるような態度や服装はしない。

わりと自分の本心に忠実に、ときには周りからわがままに見えるかもしれないけど、自分に正直に生きている。

そういう女に、男は寄ってくるのだと。

 

私は自分に自信がないから、

この本を読んで、もっと自分中心で生きようと思った。

もっと自分のありのままの姿を受け入れて、それを隠さずに生きられるようになりたいと思った。

好きな男性の前では、つい嫌われたくないから自分を隠してしまう。

でも、それで付き合えたとしても自分は疲れるだけだし、

それで付き合えなかったとしても彼の前の私は本当の私じゃないわけだし。

結局、本当の自分の姿で彼の前に立たなければ意味がないのかなと思ったり。

(本当の自分ってだれ?なに?って感じだけど。)

 

とりあえず、彼と付き合えなかったことは残念だけど、

それは私の価値が低いからじゃないんだと、そう自分に言い聞かせた。

 

でも、自分本位に生きるのはなかなか難しい。

私はとても恵まれてると思っている。

自分の就きたい職について、ちゃんとお給料がもらえるし、貯金もできてるし、

有給とって海外旅行にだって行ける。土日祝日は基本休みだし、職場の人たちも魅力的で成長できる場所だと思う。

住む家があって、食べ物を買えて、友達がいて、余暇を楽しむ時間があって。

とっても幸せ。

 

でも、この虚無感はなに?

自分は一人ぼっちだと思う時がある。

自分は無価値な存在だと思う時がある。

お腹がすいても食べたいものがない。食べてもおいしくない。

休みがあっても行きたいところがない。やりたいことがない。

 

人ってどんな環境にいても不幸を見つけることができる。

人ってどんな環境にいても幸せを見つけることができる。

そういう才能を持った生き物だって米原万里さんは言っていたけども。

つまりはそういうことなのか。

ただたんにそういうことなのね。

 

この虚無感をなくしてくれるのは、恋人だと、パートナーだと、

思ってしまう。そして恋愛依存になるという(悪循環)。

 

不思議。

遺伝子のせいなのかな。

最近の私はとにかく、子どもがほしい。

母親になりたい。

わりと、今までの人生やりたいことやってきた。

たくさん楽しく過ごしてきた。

残りの人生は、子どもを育てることに奮闘したいなと思う。

子育てって自分の時間奪われるっていうけど、

最近の私は自分の時間を子どもに費やして忙しく過ごしていたいと思う。

ないものねだりだなあ。

 

父親に、

「今の日本は子育てをするのによい環境とは言い難い。なのに子どもを産むのは親のエゴではないか。生まれた子供はかわいそうだ。」

という話をしたことがあった。

父親は

「親のエゴではなくて、遺伝子のエゴだね。」

 

私の遺伝子にもそのエゴが組み込まれてる。子育てしながら仕事するのは大変だとわかっていても、子どもがほしい。育てたい。

そういう相手を見つけなきゃと本能レベルで思っている。

だから私はこれからも本能にしがたい、その相手を探すと思う。

 

でも、どうなんだろ?

自分の幸せをだれかに依存するのってどうなんだろ?

自分一人で完結できない。

それは遺伝子のエゴだから仕方がない。

でも恋愛に依存してはいけない。

矛盾してない?笑

 

 

戦争をしなくてすむ世界を作る30の方法

 

戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法

戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法

 

 明けましておめでとうございます。

本年も引き続き、本棚の整理、頭の中の整理に励みたいと思います。

 

年明けの一冊目は、前回から引き続き、

田中優さん関連の本です。

手に取ったのは約10年前。2006年。

ピースボートの船旅から帰ってきて、

自分も戦争のない平和な世界を作るためにできることをやっていきたい!

と思っていた日々。

学生だったので、働いて社会に貢献しているわけでもないし、

お金もない。

 

日々の生活の中に、戦争に加担しないですむような選択肢はないだろうかと考えていました。

フェアトレード製品を買うとか、地産地消とか、主要メディアを鵜呑みにしないで国際協力NGOの勉強会に参加したりして問題を多角的にみるようにするとか、デモに参加するとか、石油に頼らず自然エネルギーで生活するとか、いろいろと当時大事だと思っていたことのルーツにこの本やピースボートの船上で学んだことがありました。

 

今回改めてこの本を読んでいて思ったのは、アメリカについてです。

この本が出版されたのは2003年。ちょうどイラク戦争が始まった年でした。

イラク戦争は、当時の米ブッシュ大統領フセイン政権に対して「大量破壊兵器持ってる」って決めつけて勝手に攻撃を始めた感じでした。

当時ニュース見ながら、あまりにも強行だな、そんなやりかたいいなかな、などと疑問に思っていました。

フセイン大統領がつかまって、バグダッドフセイン象が倒されて、イラクの人たちが嬉しそうにしている様子が映し出されたも覚えています。

当時はその様子を見て、「フセイン大統領は国民を抑圧していたとんでもない独裁者だったんだな。彼がいなくなったらイラクは民主的になって平和になるのかな。」とか呑気に考えていた。

でも、実際にはイラクの平和はなかなか訪れないし、大量破壊兵器が実はなかったという話になるし、「ブッシュさんはとんでもなく横暴だな。アメリカのこのようなやり方をよくないに決まってる。」と思いました。

 

それどころか、イラク戦争後にシーア派の政権ができて、国内に居場所をなくしたスンニ派の人たちがISとなってシリアで過激化している。。。

武力行使では平和な未来は築けないってことがよくわかる。

 

すべての発端はブッシュさんじゃないかと思う。

どうして彼は裁かれないのかと思う。

それほど、アメリカは世界の中で強い権限を持っている。

日本は、その強いアメリカの傘下に入ることで、平和な状態をキープしてる。

でもこれでいいのかな?

このままでいいのかな?

 

もっといろんな本を読んで考えていきたいと思った。

クォータリー[あっと]1号

クォータリー あっと 1号

クォータリー あっと 1号

この本が刊行されたのが2005年9月。
10年前。
10年前、私は大学生で、
いろんな国や地域、とりわけ発展途上国の現状が見てみたくて
ピースボートに乗船した。
その船で田中優さんに会い、彼の考え方に惚れ込んだ。

下船後、田中優さんの考えをもっと吸収したいと思い
彼が書いている本を探して読んだ。
これがそのうちの一つ。

この季刊誌は田中優さんの他にもいろいろな人が記事を書いているんだけど、
あまり読まず(難しくて、、、)。

記事のタイトルは「生きるためのオルタナティブです。

優さんが書いてるとこだけやたら線引いてある。
大学生の頃の私が読んで何を感じたのか、
線の引いてある箇所から思い出そう。
そして今読んでまた、考えたことをまとめていこう。

○アウトプットを前提としないインプットは無意味
 大学受験のために、私はたくさんの知識をインプットしてきたし、
 勉強ってそうゆうものだと思ってた。
 でも、どんなにインプットしても、アウトプットできなきゃ
 その知識・教養は存在しないと同じ。
 だれかの考えを批判するだけで代替案を提示できないような
 偽インテリにはなりたくないな~と思った。

○二者択一の罠と、オルタナティブという考え方
 AかBか、どちらかしか選べない状況で、
 実はBという選択肢はだれも選ばない選択肢となっている。
 自民党民主党か、みたいな。
 (だれも民主党に期待してないから、
 結局自民党に票を入れるしかない、みたいな。)
 これはファシズムの手法だと、優さんは言っている。
 今の会社に服従するか、退職するか、みたいな。
 (退職するリスクが高すぎて結局服従せざるを得ない、みたいな。)
 
 実際、こういう状況は今の世の中めずらしくないと思う。
 
 オルタナティブとは、
 このような状況で、全く別の次元の第三の選択肢を示すことをいう。
 AでもBでもない、Cという新たな道を考えを選ぶことで、
 この状況を打開してよりよく生きることができる、というもの。

 優さんはこの後の展開で様々なオルタナティブの例を出しながら説明している。
 ひとつめに、
 オルタナティブ(第三の選択肢)は問題の原因に遡って考えなければいけない。
 ふたつめに、
 オルタナティブが見つかったら、
 それはその社会に見合ったメディアで表現しなければいけない。

 みっつめに、
 もしそのオルタナティブによって社会変革を目指すのならば、
 社会的な影響を持ち得る存在にならなければいけない。

 よっつめに、
 このような個人としてのオルタナティブだけでなく、
 社会に対してのオルタナティブが必要。

 社会に対してのオルタナティブとして、優さんは「中間法人」について触れている。
 非営利で会社と同じような業務ができる。
 NPO法人だと出資を受けることができないし、
 誰が入ることも合理的である限り拒否できないというデメリットがあるが、
 中間法人だと会社の株式にあたる拠出金を受けられるが配当してはいけないのと、
 閉じたメンバーだけの共益組織なので、
 有限会社のような活動ができるそう。 
 (この辺は難しくてよくわからなかった。>_<)

 中間法人については置いておくとして、
 行政、民間とは別の「市民セクター」が育っていくことが
 社会に対してのオルタナティブである、という考え方にとても共感しました。

 まだNPOのような非営利組織で働くことを選ぶのは勇気がいる世の中です。
 でも、この市民セクターが社会的に影響力を持つようになれば、
 優さんがいうような「二者択一の罠」から私たちは逃れられるのだと思います。
 まずは、自分が会社に服従しなくてもいいような地位を築き、
 自分の今の仕事と並行して非営利活動に関わることができれば、
 そのような生活スタイルが多くの人に確立されれば、
 世の中が変わっていくんじゃないかな~。
 
 会社と家を往復するだけの人生は少しさみしい。
 確かに、仕事自体もやりがいがあるし、自分が成長できる場所でもある。
 でも、もしもそうでない人がいて、
 生活のために働くしかなくて、
 その仕事にやりがいや生きがいを見いだせないのならば、
 優さんがいうようなオルタナティブな生き方を模索するべきなのかもしれない。
 それができる世の中になればいいと思う。
 
 そのために私個人として、何ができるだろう?
 今の仕事で手いっぱいなのもあるけども。。。
 インプットだけしてアウトプットできない人にならないためにも、
 自分なりのアウトプットの仕方を考えていきたい。
 

旅行お得技ベストセレクション

だいたい海外旅行を計画する時は、
トラベルコちゃんで格安航空券をとって、
ブッキングドットコムかトリップアドバイザーで安宿を探して予約します。
学生の時は格安航空券だけとって、宿は向こうで探してた。安宿街が必ずあるから。
航空券と宿付きのパックツアーも一応探します。

そーやってネットサーフィンしてる時間はわりと嫌いじゃない。
このムックは、国内外旅行する時のお得技がたくさんのってます。(タイトル通り)

その中で私がこれは覚えとこう!と思ったものを挙げてみます。

〇エクスペディア、スカイスキャナー、トライシー、トリッピース

 トラベルコちゃんやブッキングドットコムのような、
 格安航空券や安宿を見つけるのに便利なサイト・アプリです。
 トリッピースは旅行したい人が集まるSNS。発想が好き。

〇中東系航空会社(エミレーツカタール、エディハド)のポテンシャル
 燃油サーチャージが安いらしい。
 サービスも良いし、とにかくいろいろお得っぽい。

茨城空港のポテンシャル

 茨城空港から春秋航空(LCC)が利用できるらしく、それが安いらしい。
 茨城は祖父母の家があるのでよく行くから要チェックでした。
 空港使用料が羽田・成田より2000円くらい安いのと、駐車場代がタダなのもミソ。

ウラジオストク

 成田か2時間40分で行けるヨーロッパだって。
 盲点だった!
 ロシア行ってみたい。

airbnb,couch surfing,tonight
 トゥナイトとエアビーエヌビーはちょっと試してみたいな。
 カウチサーフィンは、もう長らく利用しているので、
 こーゆー雑誌で紹介されるとちょっと嬉しい。

妄想旅行計画立てるの好きだから、
行かないけどこーゆー便利なサイトやアプリを見るのは好き。